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​金栗四三翁と加地正隆

健康マラソン発祥

天草パールラインマラソン大会会場近くに「健康マラソン発祥の地」の記念碑がある

​以下はその碑文である。

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           遅いあなたが主役で

           健康マラソン由来の記

 健康マラソンの発祥は, 昭和47年1月 熊本走ろう会を結成, 中高年者の持久走を健康マラソンと命名し, 健康のために明るく, 楽しく, ゆっくり走ることを創唱したに始まる。昭和48年3月10日 熊本走ろう会々長加治正隆, 幹事長堤貞一郎, および会員一同の要請を 大矢野町が受入れて, 名誉会長金栗四三翁, 会長川上剛晴町長, ランナー参加者271名の同志を得て, 我国最初の健康マラソ ン大会である 第一回天草パールラインマラソン大会 が開催された。
 爾来20年, 熊本走ろう会が提唱した健康マラソンは, 天草パールラインマラソン大会を舞台として, 「遅いあなたが主役です」のキャッチフレーズをかかげて, 速さを競わず, 優劣を争わず, 健康をゴールとして走る人々の共感と, 市民の理解を得て次第に全国に普及し, 今日の隆盛をきたし社会的にも, スポーツ界にもその地位を確保するに至った。
 この時に於て, 我国健康マラソン発祥の碑を建てこれを記念する。
  「健康マラソンは不滅である」
全国の健康マラソンランナー およびそれを取巻く全ての人々が開拓 者である。ここにその人々の氏名を刻して後世に残すものである。
その栄誉は永久に忘れられないであろう。

平成4年3月8日

健康マラソン発祥の記念碑設立委員    委員長 加治正隆 識

「走ろうの日」記念日登録
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「遅いあなたが主役です」をスローガンとした「健康マラソン」を広く世に広めること、その先人の深く、熱き思いは碑文の如く今日では全国に普及し当面の目的は達成した。

しかし、創始者が目指す本来の目的は「速さを競わず, 優劣を争わず, 健康をゴール」とすることにあり、さらにはその先にある平和で豊かな人生にある。

次世代の我々はスローガンが示す通り、「遅いあなたが主役です」となって、健康のために明るく, 楽しく, ゆっくり走ることを実践しながら創始者の理想や理念を絶やすことなく後世に伝え、全国に広めていかなければならない。それがバトンを受け取った我々の役目でもあり使命でもある。

2010年(平成22年)8月4日を「走(84)ろうの日」とし、先人たちのその夢や希望、理想や理念、即ち熊本走ろう会が目指すところに立ち戻る日とし、同時に健康で走れることを祝う日とした。

そして

2018年、有志が発起し8月4日を「走ろうの日記念日」として登録し、全国の健康マラソンランナーとその思いを共有し共に健康で豊かな人生を目指して走る日とした。

今、世界で日本を代表する選手が輝かし成果を挙げ多くの人々に喜びと感動を与えています。

世界を相手に活躍する選手を大輪の花とすれば,、私たち健康マラソンランナーは人知れず道端に咲く雑草です。

風雨にさらされ、人に踏まれてもなお立ち上がり、共に励ましあい、共に応援しながら健康というゴールを目指して走り続けている最中です。

8月4日、日本中の雑草ランナーと共に走り、共に喜びを分かち合えば全てのランナーは金メダル獲得者です。

過去の会報から抜粋

第44回 金栗四三翁 墓参マラソン  平成29年5月3日

「日本マラソンの父」そして「熊本走ろう会」の初代名誉会長である金栗四三翁の墓参マラソンを、薫風漂う5月3日に行ないました。会発足の翌年(1973年)以来、ご自宅への「訪問マラソン」、没後も毎年欠かさず続けてきた「墓参マラソン」も昨年の熊本地震で無念にも中断しましたが、今年は二年ぶりに再開し44回目の開催となりました。白川公園(熊本市中央区)から玉名市の墓所までの約三二キロに心地よい汗を流し、そして、会員30名が墓前で、生前の功績をたたえながら偲び、これからも先生の名を汚すことなく「健康マラソン」の立役者となって、「体力・気力・努力」の精神を後世に元気に伝えていくことを誓いました。

また、その「走る」情熱とその偉業を成し遂げた金栗四三翁が、2019年NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公に選ばれたその栄誉と誇りを墓前に謹んで報告致しました。

​    

 平成29年5月3日

「熊本走ろう会」創設当初より欠かさなかったご自宅への「訪問マラソン」

加地正隆永世会長と握手を交わす金栗四三翁(隣は婦人)   (昭和55年頃)

生前、ご自宅への「訪問マラソン」を金栗御夫妻は自家製の饅頭等々を用意してもてなされ、大層お慶びになったそうです。

金栗四三先生の弟子でボストンマラソンの覇者、ヘルシンキオリンピック男子マラソン日本代表

山田敬三氏(右から二人目)と走る会員

金栗四三先生の指導を仰ぎながら健康マラソンの普及に尽力された加地正隆永世会長御夫妻

スタート時の「みんな 帰ってこいよー」が懐かしいですね。

                      (平成21年11月23日没 享年96歳)

「ああたたちは雑草ですたい。どぎゃん頑張ったちゃもうオリンピックにゃ出られんとです。

途中 きつうなったら、いつでもつんくり帰ってよかとです。

途中で止めても決して敗北者じゃありまっせん。

勇気を出してやめた者が本当の勝者です。

​きつかつば我慢して、気づいた時は救急車の中だったという者が敗北者ですたい。

決して無理はせんで下さい」

90歳になったころから、「最近、きついな」と感じることもある。「自分の体を完全に使い切って天国に走り込めば、金栗先生が『ようきた』と迎えてくれる。そしたら、天国走ろう会をつくっとですよ」と豪快に笑い飛ばした。(朝日新聞DIGITALより)

遅いあなたが主役です
Its’a slow Life (9月号会報より)

私は平成13年1月1日の「元旦三社参りマラソン」に参加した時、熊本走ろう会に入会致しました。

当時の「元旦マラソン」は一般の参加者も多く、入会希望者は集合場所の水道町に在る加地ビル1階に用意された長机で入会の申し込みを行うというものです。

後日、自宅に入会金の振り込み用紙が送られて来ましたが、勤務地に近いこともあって、当時熊本走ろう会の会長で、創設者の加地正隆氏が開業する水道町の加地ビル5階「耳鼻咽喉科加地医院」に持参することにしました。

大方診療中で多忙を予想し、入会金を受付に託けて辞去するつもりでした。ところが受付で用件を告げると、受付兼看護師が「どうぞ」と、まるで急患を扱うように直ぐに診察室に通されるではありませんか。

診察室には治療用の大きな椅子が2台、その奥の木の机で白衣の加地正隆氏が右手の人差指と中指にタバコを挟み、左手には本を広げて座していました。

以来、加地氏没前の7、8年間加地医院に会費を届けましたが、いつも片手にタバコ、片手に本、というそのスタイルは変わりませんでした。即ち、訪れた7.8年の間、患者と遭遇したことは無いということになります。ある時は白髪の奥さんが居眠りしながら受付におられたことも、「今日はちょっと看護婦が休んでおりますので」と照れ笑いの加地先生―。

看護師が「走ろう会の用事でお見えです」と告げると、「待ってました」とばかりに鶴のように細い首を伸ばして表情を崩し、本を閉じ、タバコをもみ消して人懐こく「まあ、どうぞ」と窓際の古いソファーを勧められました。加地会長は各地で開催されるマラソン大会でいつも「かえってこいよ!」の掛け声と共にスタートしていたので、顔は馴染んでいましたが、まさか新入会員に対してこのようにフレンドリーに対応してもらえるとは……。

実はマラソンを始めて間もない頃、家族で通潤橋マラソンに参加した時こんなことがありました。トレードマークの赤い上下のジャージでスタートライン近くで出番を待つ「かえってこいよ!」の加地会長を見つけました。そこで「一緒に写真を」と、お願いしたことがあります。

すると、「はいはいわかりました」と笑顔で応じてもらったかと思ったら次の瞬間「いまから写真とりますけん、すんまっせんばってん道ばあけてくだはりまっせ!」と大きな声を通りに響かせたのです。続けて「奥さん、せっかくですけん、通潤橋が入るようあっちから写しなっせ」と気遣ってもらう始末。

道を通行止めにして手短に撮影を終えると、加地会長は「すんまっせんでした」と破顔で周囲に礼をいい、そして私に「ありがとうございました」と言うではありませんか。ありがとうございましたは本来私のセリフ。多分、本日通潤橋マラソンに参加してもらってありがとう、という意味だったのかも知れませんが…。熊本走ろう会のことも加地会長こともよく知らない私は、この人は相当の気遣い者、且つざっくばらんなオジサン、という印象でした。

その時のイメージが根付いていたので、まるで散歩にでも行くかようにのこのこと加地会長の病院まで会費を納めに行ったのかもしれません。

会話はいつも1時間内外でしたが、毎回初めて会うようにその内容は同じことの繰り返しだったように思います。健康法に対する持論や走ろう会の活動状況、それから自分が軍医として中国で多くの傷痍軍人を診たこと、戦争で身寄りを失った現地の孤児を引き取って育てたこと、桂林マラソンを開催して歓待されその後も交流が続いていること等々、多岐にわたりましたが会費を持参した私を気遣っての会話ですから内容は浅く、話好きな人の世間話のようなものでした。当時、走ろう会に特に興味もなく、そして入会後も練習会に参加していなかった私はいつも「なるほど」「そうですか」「へえ」といった調子で聞き役に回っていたのでどの様な内容であったかほとんど記憶に残っていません。加えてお互い暇つぶしの会話ですからなおさらです。

今になって思えば何故もっと奥深く加地正隆という人を探求しなかったのかと悔やまれます。

ただ、数年間お会いした中で印象に残っていることが3点あります。先ず1点はあの時、通潤橋マラソン大会で写真を一緒に映って頂いた時と同じく、人に対する気遣い心配りが細やかで且つ、気さくな人柄が最後まで変わらなかったこと。

2、中国の桂林市から贈られたという診療所の壁に掲げられた漢詩の大きな額に時折目をやりながら「桂林マラソン大会」を開催したことや桂林市の厚遇等を語られるとき、更に雄弁となり、眼が生き生きとしていたこと。

3、自ら中国の戦地で軍医として多くの傷痍軍人を診たことを語るとき、ほんの一瞬フッと息を抜いたように視線が下がること。

加地会長は熊本弁丸出しで話の内容も語り口も前向きで明るく極めてポジティブです。ただその軍医であった戦地の話のときだけほんの一瞬、陰る。

私はそのような地正隆氏を見たある時、ハッと気づきました。軍医という仕事、役割は負傷した兵隊の手当て、治療であります。激戦の中、到底十分とはいえない薬、乏しい医療具、懸命な手当ての甲斐なく目の前で、あるいは自分の腕の中で若い命を落としていく青年や少年兵たち。もっと生かしたい。生きて日本に帰したい…。あまりにも早すぎた死。あまりにも短い人生。加地正隆氏のあの性格、人柄ならその無念さも一層の事だったと思います。

そしてまた、生き残った兵士も明日になれば、祖国にいる父や母、弟や妹、そして妻や幼い子供の顔を胸に抱きながら、鉄砲を担ぎ刀を振りかざして敵地に向かって突進していく。

その兵士たちの後ろ姿に向かって、加地軍医は声には出さず「かえってこいよ!」と心の中で張り裂けんばかりに叫んだ……。

平和となって高度成長期迎えた1972年、加地正隆氏は有志と「健康マラソン」「遅いあなたが主役です」をスローガンとする「熊本走ろう会」を創設されました。当時の私はまだ元気に走っている頃でした。だから「速く走っても健康のはず。タイムを計らないのが健康で、計測すれば病気になるのか」などと反抗期の少年のような否定的な考えが心の隅にあったのも確かです。しかし、加地会長と出会い、その人柄に触れたとき、「熊本走ろう会の」理念、理想というものに触れたような気がしました。即ち「健康」は「平和」、「走る」は「生きる」を意味している。そして「遅いあなたが主役です」というスローガンはあの若い兵士達のあまりにも早い死、早く終えた人生、「その人たちの分まで私たちは長生きせなやならんとです!」だから「遅く、ゆっくり生きるあなたが主役にならんといかんとです!」という願いと戒め。

そしてスタートするとき、声高々の「かえってこいよ!」それはあの時無念にも声にすることができなかった心の叫びである、と私は確信しました。

勿論、真意を加地正隆氏に尋ねことはしません。たとえ尋ねたとしても時代錯誤の話など笑い飛ばして応えられるはずもありません。

熊本走ろう会が他のランニングクラブと全く次元の異なる走る会、と知って以来、私は熊本走ろう会の行事にぼちぼちと参加するようになりました。

熊本走ろう会が提唱する8月4日の「走ろうの日」は日本中が平和で元気に走られることへの感謝の日です。そしてこれから先も健康という平和を自分たちの力で走りながら築いていきます、という誓いの日でもあります。

会員の皆様は「健康マラソン」「遅いあなたが主役です」をスローガンとする「熊本走ろう会」の会員であることを誇りにおもい、そして「走る」その先にある豊かな人生を目指して更に前進して頂ければ幸いに存じます。

 19年大河ドラマ

金栗四三氏 主人公

2017年4月4日「熊本日日新聞」朝刊

正面右 ご自宅

過去の「墓参マラソン」
平成29年5月3日
金栗四三翁墓参マラソン
2017年5月4日「熊本日日新聞」朝刊

玉名市ホームページ

アンカー 1
第45回金栗四三翁墓参マラソン
​(金栗四三翁ゆかりの地を巡るロングラン)
2018年5月13日

◎平成30年5月13日(日) 

金栗四三翁ゆかりの地を巡る

ロングラン

(第45回金栗四三翁墓参ロングラン)

 


※ 熊本走ろう会が創設時より続けている「金栗四三翁墓参マラソン」について、今回は大河ドラマ「いだてん」放映決定を記念して、金栗翁が小学生時代に走って通学をしたコースを走破し、生誕の地から終焉の地を結ぶコースも走ります。(約24キロ)
バスで伴走しますので、部分的に走る方も是非ご参加ください。


☆ 送迎バス    熊本駅新幹線口 出発 7時00分 白川公園 7時15分


☆ ラン班コース  9時00 南関第3小学校出発~金栗四三翁生家にて見学・説明後~

再び金栗四三翁終焉の地までランニング(墓参)~バスにて玉名温泉  


✩  バス班コース  金栗生家見学・説明の後~手足の神様~緑彩館~菊水ロマン館(古墳公園)~

金栗四三翁終焉の地(墓参)~玉名温泉

◎平成30年5月13日(日) 

熊本走ろう会会員№1

熊本走ろう会初代名誉会長

金栗四三翁のゆかりの地を巡る

いだてんロングラン25キロ

(第45回金栗四三翁墓参マラソン)

熊本走ろう会初代名誉会長金栗四三翁の月命日となる5月13日、今年で45回となる「金栗四三翁墓参マラソン」を行った。(回数は生前のご自宅訪問ランを含む)今回は、当時金栗少年が韋駄天の如く駆けて通った小学校(現南関第3小学校)から、若葉が萌る片道6キロの道のりをあの頃に思いを馳せながら走って生家へ、そして高校(現県立玉名高校)の寄宿舎から約20キロ走って帰省したという道を伝って玉名市小田地区の墓所へと向う「ゆかりの地を巡るロングラン」の特別企画に会員50名が参加し追憶した。

墓前では金栗魂が確りと根付いたそのゆかりの地での厚いもてなしを報告すると共に、言葉では到底語り尽くし得ない感謝の念を捧げ、そして、これからも「健康マラソン」の理念と「体力・気力・努力」の精神を一層昂揚しつつ後世に伝承していくことを誓い、手を合わせた。

今回、ゆかりの地に触れ、改めて金栗四三翁の足跡、功績を辿ってみると、時という時間の単位で計れば92年という生涯であったが、その重みや深さ、或は濃度といった尺度で計ったとすればそれは127歳を迎えた今もなお健勝であり、更には今後から未来を駆ける「いだてん」である事を確信した。

高巣和水町町長から歓待を受ける出田熊本走ろう会会長

高巣和水町町長歓迎の挨拶

自然豊かな山間の「金栗ロード」を走って生家に来ると、予期せぬ『歓迎 熊本走ろう会』の横断幕が待っていた。

地元住民の皆様、関係者、そして高巣和水町町長からの歓迎の言葉と、金栗四三翁にまつわる興味深い話を拝聴していると、雨で一層映えた新緑の中に若い頃の翁が蘇った。

国内外において、これまで数え切れないほどの大会に参加したつわ者たちであるが、当日の沿道に響く声援や小田地区のエイドステーションは今まで経験したことのない激励であった。

妻 スヤさん百寿のお祝いか?
2018年5月14日熊本日日新聞朝刊

金栗四三翁

ゆかりの地

探訪の旅ラン

会員№985 平野明美さん 平成30年6月5日 熊本日日新聞朝刊「読者ひろば」掲載

2018年5月14日 熊本日日新聞朝刊掲載

It's a slow Life

Since 1972

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